個性的な役者としての活躍はもちろん、“元祖プレイボーイ”としても浮名を流した俳優・火野正平さんが14日、75歳で亡くなったことが分かりました。
火野さんは1949年生まれ。1961年に劇団「こまどり」に入団すると、子役として翌年、フジテレビのドラマ「少年探偵団」でデビュー。
フジテレビのドラマ「大奥~華の乱~」や、「鬼平犯科帳」シリーズなど個性的な役柄で存在感を発揮してきました。
“元祖プレイボーイ”おちゃめな一面もそんな火野さんが、ワイドショーをにぎわせたのが1970年代から80年代。
“元祖プレイボーイ”と呼ばれ、有名女優ら最大11人と交際していたと報じられたことも。
1985年に「おはよう!ナイスデイ」で、“12人目の愛人”について平野早苗リポーターが直撃した際は「私はセリフしかしゃべれません 正平」というプラカードを用意。
少しはにかみながらプラカードを掲げて取材陣をかき分けて行きました。
当時のことを、平野さんはこう振り返ります。
芸能リポーター 平野早苗さん:火野さんの言葉としては出てこないものの、そういうことを向こうが、ある種、遊んでくれる、演出をしてくれる。向こうももしかしたら考えてくれたのかなって思うぐらい、ちょっとおちゃめな対応をしてくれて。これだから女性にモテるのかなって、その時は思いました。なんか、おちゃめな人ってだから愛されるのかなみたいに…。
後輩たちから見た“火野正平”「もう少し休んだら復活」取材に対するおちゃめな一面の一方で、俳優業への向き合いは真剣そのものだった火野さん。仕事である演技には、プライベートを挟むことは一切ありませんでした。
そんな火野さんの素顔はどんなものだったのでしょうか?後輩で俳優の小沢仁志さんは…。
俳優・小沢仁志さん:本当に肩肘はらず、自然体でずっと生きてきた人だからね。なんか深み。男が「いいなあ、エロいなあ、かっこいいわ」ってほれる男はさ、女にモテないわけがないよね。人柄でそうやって、みんなが集まってくるから。
長年、精力的にドラマや映画に出演していた火野さんですが、還暦間近の2009年、自身の体調への“不安”を口にしていました。
火野正平さん(当時59歳):今年で60歳になるんですけども、そろそろ死んじゃうんじゃないかと思って…。
そんな火野さんを長年悩ませていたのは、持病の“腰痛”。所属事務所によると、火野さんは今年4月から腰痛の治療に励んでいましたが、夏に腰を骨折したのを機に、体調を崩したといいます。
火野さんと37年の付き合いがある、後輩俳優の中野英雄さんに話を聞くと、今月3日に電話で話したばかりでした。
俳優・中野英雄さん:僕の場合は11月3日に電話がかかってきたんですね。(火野さんが)「今ちょっと調子も良くなってきて、もう少し休んだら復活できるから、そしたらまたみんなで飲み行こうか」と、「しばらく空いてるからね」みたいな話から…。
その電話から11日後に亡くなった火野さん。遺族が撮影した祭壇の写真には、照れ臭そうに優しい笑顔で見つめる姿がありました。自宅で家族に見守られ、穏やかな最期だったといいます。
2023年1月、火野さんは、自身の“生きざま”についてこう話していました。
火野正平さん(当時73歳):(過去のことを)謝っちゃうと自分を否定してることになるから、ちょっとあっちへいく一番最後に、「ごめん」って言っていくわ。