燃え上がる元結婚式場…経営者失踪し建物所有者不明で解体も出来ず“心霊スポット”不法侵入も 茨城・笠間市

茨城・笠間市で、廃墟となっている結婚式場の2階の窓から炎と煙が吹き出す様子が捉えられました。 11日に火災が起きたこの式場には、解体できず放置されている複雑な事情がありました。 近隣住民によると、当初は結婚式場として多くのカップルが永遠の愛を誓ったといいます。 近隣住民:私が子どものころなんか、宣伝カーが町中まわっていたり結構手広くやってたんじゃないかな。 近隣住民:軽井沢とか足利にも支店をつくって、当時は羽振りがものすごく良かった。ヘリコプターで新婚旅行連れていく企画を作ってやってた。 土地の所有者によると、20年ほど前、式場の経営者が資金繰りに行き詰まり建物を残し、失踪したといいます。 その後、管理されぬまま建物が朽ち始めていくと、敷地内への不法投棄や不法侵入が横行し始めたのです。 近隣住民によると、一部の子どもたちの中では「心霊スポット」という言い方もされているといいます。 3年前にネット上に投稿された無許可で撮影されたとみられる建物内の映像を見てみると、至る所の壁が剥がれ落ち、落書きも確認できます。 一部には、天使をかたどったステンドグラスなど、結婚式場らしい装飾も残っていました。 これまで、何度もボヤ騒ぎが起きているというこの建物。 11日に起きた火災の原因もまだ明らかになっておらず、住民の不安は増しています。 なぜ、この建物が解体されないのでしょうか。 複数いる土地の所有者を取材すると、「建物の所有者が分からなくなっている」といいます。 どうして分からなくなっているのか聞いたところ、関係者は「夜逃げしたときからそのままになって競売にかかった。で、買った人が誰だか分からない」と話します。 別の土地の所有者の説明では、競売で買った会社の関係者がリフォームしようと訪れたといいますが、リフォーム代が3000万円近くかかるため、そのまま放棄し捨てたというのです。その後、建物の所有者が何度も変わっていき、現在は誰が所有しているのか分からなくなったのです。 「イット!」も建物の所有者にコンタクトを取ろうと所在を調べましたが、突き止められず、連絡を取ることができませんでした。 土地の所有者:税金だけでも大変。年間10万円くらい払ってる。(土地を)放棄しようと思ってるんだけど、建物あっちゃダメ、竹が生えてきたらダメ、今(法的)縛りができたでしょ…。 別の土地所有者:結局もう、どうしようもねえという形だよね。 茨城県は、建物の撤去に向けて指導しているとしています。

1歳児が“焼肉風炒め”喉に詰まらせ死亡か…保育園謝罪も保護者「離乳食と言っていたが肉は早いな」不安の声以前から

1歳児が“焼肉風炒め”喉に詰まらせ死亡か…保育園謝罪も保護者「離乳食と言っていたが肉は早いな」不安の声以前から 15日午後2時、北海道・札幌市で行われた会見。10月、保育園に通う1歳の男の子が給食の時間の事故で死亡していたのです。 保育園の運営会社アイグランの代表取締役:このたびは、お子さまの命を失うという保育園では絶対あってはならない事が起きてしまい、まずはご遺族さまに対して深くおわびを申し上げます。大変申し訳ございません。 事故があったのは、札幌市の認可保育園アイグラン保育園拓北。 10月23日、0歳児クラスで食事をしていた1歳1カ月の男の子が、給食を喉に詰まらせ心肺停止。病院に搬送されましたが、死亡が確認されました。 この保育園では、園が独自で調理することを特色としており、専属の栄養士による手作りの給食やおやつを提供していたといいます。 関係者によれば、当時のメニューは離乳食の焼き肉風炒めなどだったといい、男の子は、肉を喉に詰まらせたとみられています。 15日の会見の中で、保育園は原因について調査中として明らかにしませんでした。 一方で、保護者からは、「1歳児に肉を出すことに不安を感じていた」という声も聞かれました。 保護者:早いなと思った。あげるものが。離乳食とは言っていたが、お肉とかおひたしは早いんじゃないかなと思っていた。 当時、保育士は、園児と1対1で食事をさせていたということです。中には、「これまでにも子どもが危険な目に遭っていた」と話す保護者もいます。 保護者:食事以外でも、ちょっと怖いなと思っていた。カメラで見られる、見守りカメラで子どもの様子を。先生がイスを引っ張ったりするのを見たり、そういうのもあるから…。 保護者:「危ないんじゃないか」という声もあって「ついに起こった」というような。(園側が)人数確認をしておらず、(自分の子どもが)園庭に取り残された。 事故から3週間がたった13日から始まった保護者への説明会。しかし、その説明も納得できるものではなかったといいます。 保護者:「対策ないんですか?」という感じでも「調査中」としか言われないから、みんな「なんだよ」という感じで帰っていくみたいな。(園側への)あきれじゃないか。 こうした保護者からの声に、保育園は「おっしゃる通りだと思うし(説明不足と)そう取られても仕方ない。これから少しずつ信頼が取り戻せるような誠実な対応をしていきたい」と述べました。 保育園側は、警察の捜査と並行して、今後も直接的な原因を調査していくとしています。

1日に5軒のコインランドリー被害に…40秒で両替機破壊し25万円強奪「対策強化もいたちごっこ」 茨城・神栖市

事件があったのは、茨城・神栖市。バールのようなもので両替機を狙う2人組をカメラが捉えました。侵入から、わずか40秒で破壊。現場には、無理やりこじ開けられた跡や、壁にもえぐられた跡が確認できました。 取材を進めると、同じ神栖市にある別のコインランドリーでも被害が出ていることが分かりました。 防犯カメラの映像を確認してみると、14日午前3時ごろ、似た格好の黒ずくめの2人が店に侵入。狙いはやはり両替機で、同様にバールのようなもので無理やりこじ開けようとしています。 約1分半後、この店でも両替機が破壊され、中から現金が盗まれてしまいました。 被害はこれだけでは終わりません。神栖市の北にある行方市でも確認されたのです。 店に入るなり、両替機に向かう2人。しかし、これまでの店とは少し様子が違います。 実はこの店舗では、過去にも被害を受けていたことから、両替機を前から開かない作りにすることで対策をとっていました。 しかし、それでも無理やり現金を奪う泥棒。千円札を入れる投入口を破壊し、硬貨を残し、8万9000円を奪い去りました。 コインランドリーの両替機を狙った、黒ずくめの2人組。14日だけで神栖市と行方市、少なくとも合わせて5店舗で被害があったことが取材で明らかになっています。 被害に遭った店舗から被害届を受けて、警察が窃盗事件として捜査をしています。 被害があった店の従業員は「(両替機の)メーカーは対策しているが、それを超えて壊しに来ている。だんだんうまくなってきて、時間がかからなくなってきている」と話します。 店が対策を強化するたびにそれを破壊し、現金を奪い去られる現状に、店側は、「対策をとってもいたちごっこだ」と危機感を募らせています。

スポーツカーが“泥酔大暴走”し車12台にぶつかる事故 運転手はフラフラで転倒 パトカーでも居眠り 中国

中国でカメラが捉えたのは、青いスポーツカーがとんでもないスピードで次々と車に激突し、暴走する瞬間。 巻き込まれた車は実に12台。事故を起こした車はエアバッグが飛び出し、防護柵は無残にもなぎ倒されています。 大惨事となった現場。そこへ、スポーツカーに近づこうとする1人の男。27歳のドライバーです。 これだけの事故を起こしながらどこに行こうとしているのか、壊れた柵をまたごうとしたその時、男は転倒。なぜここまで男はふらふらなのでしょうか。 地元メディアによると、男は酒を飲み、泥酔状態で車の運転をしていたと伝えています。 そんな状態で、まだ運転するつもりなのでしょうか。男は車に乗り込もうとしますが、車内からはもくもくと白い煙が噴き出し、車は動きません。 そして、男は男性に取り押さえられました。 男性:逃げるんじゃない! ドライバーの男:オレ運転なんてしてないよ…。 男性:誰か、縄を持ってきてくれ!縛ってやる。 押さえつけられながらも「運転していない」と話す男。 その後、駆け付けた警察官に引き渡されパトカーへ。ところが、何と酔い潰れた男は夢の中。 幸いこの事故によるけが人はいないということです。

根尾昂がシート打撃で主力を圧倒 柳裕也は若手に負けずブルペンで再強化【ドラゴンズ秋季キャンプ】

根尾昂がシート打撃で主力を圧倒 柳裕也は若手に負けずブルペンで再強化【ドラゴンズ秋季キャンプ】 根尾昂選手が沖縄キャンプで実践形式の打撃練習を行い、四方細選手をスライダーで三振に仕留める。 柳裕也選手はブルペンでまっすぐを中心に投げ込み、シーズン後半の良い感覚を維持することを目指す。 柳選手は沖縄の高温29度の中で若手選手に負けず、体を鍛え直すために走り込みを行う。 柳選手は「プロ入りで一番苦しかったシーズン」と振り返り、若い選手たちと共に成長を目指す意欲を示す。 キャンプの課題を克服し、来年に繋げるための準備を進める意向を表明。  

職業でいくら違う?“年金の現実”【しらべてみたら】

職業によって年金額が大きく異なることが明らかに。会社員から自営業まで、年金額の差が顕著。 70代の女性は、夫と2人暮らしで月18万円の年金を受給していたが、医療費の負担増で実質15万円に減少。 70代の男性は、過去に3つの職業を経験し、月10万円の年金では生活が困難と訴える。 年金額が高い職業として、元大手ゼネコン勤務の男性は月30万円を受給しているが、アメリカ政府からの年金も含まれる。 年金制度の見直しが進められる中、現役世代からは年金額の増加を求める声が上がっている。

激動の時代生き抜かれた百合子さまの生涯 彬子さま「毎日リハビリなさっていた」皇族最長寿の101歳 空襲による宮廷全焼を経験も…

天皇陛下の大おばにあたる三笠宮妃百合子さまが、15日朝早く、老衰のため逝去されました。百合子さまのこれまでの歩みを振り返ります。 百合子さまは、上皇さまのおじにあたる故・三笠宮さまのきさきで、記録の残る皇族では最長寿の101歳。大正・昭和・平成・令和と、激動の時代を生き抜かれた生涯でした。 3月に入院後は、口から水分や食事を取ることはできないものの、落ち着いた状態が続き、6月には101歳の誕生日を迎えられました。 前日にも病院を訪れた孫の彬子さまは、そのときの様子について、「きょう100歳最後の日でございますねとお話ししたら、うん、とおっしゃっていらっしゃいましたし、毎日リハビリをなさって」と明かされていました。 翌日の誕生日当日にはご家族から病院で祝福を受け、つい最近まで車いすに座るなど、体調は比較的安定されていました。 空襲により宮邸が全焼し、5人のお子さまに恵まれるも、長男の寬仁さま、次男の桂宮さま、三男の高円宮さまと3人の息子に先立たれるなど、大きな悲しみを何度も経験されたご夫妻。 百合子さまは、多才な三笠宮さまの活動を献身的に支えられました。 スケートなどの普及に力を注がれた際には、小学生の天皇陛下のお姿もありました。 そして「オリエントの宮さま」として親しまれた三笠宮さまの研究者としての活動も支え、75年の長きにわたり、連れ添われました。 結婚70周年を迎えた2011年には、文書で感想を寄せられました。 百合子さまは「余り頑健でない私を、いつもいたわってくださった宮様のおかげで今日まで長生きできましたこと感謝の言葉もございません」と記されていました。 母子愛育会の総裁を長年務め、母子の健康に心を寄せられたほか、日本文化の普及にも尽力されました。 度重なる病気を乗り越え、2024年3月に入院するまでは、お住まいの宮邸で新聞各紙に目を通したり、テレビで野球の中継を見るなど穏やかな日々を過ごされていました。

北朝鮮兵が露西部1万人超で本格参戦▽“トランプシフト”高官に米国通起用…米朝関係の行方▽クルスク駐留北朝鮮兵の無線傍受「こちらブタ5!」元特殊部隊「暴風軍団」所属の脱北者語る兵士の本音

北朝鮮兵が露西部1万人超で本格参戦▽“トランプシフト”高官に米国通起用…米朝関係の行方▽クルスク駐留北朝鮮兵の無線傍受「こちらブタ5!」元特殊部隊「暴風軍団」所属の脱北者語る兵士の本音 北朝鮮兵がロシア西部クルスク州に派遣され、約1万人以上が参戦していることが確認された。 アメリカ国務省は、北朝鮮がロシア軍との戦闘作戦を開始したと発表。 北朝鮮はロシアとの包括的戦略パートナーシップ条約を批准し、軍事支援を行う義務を明記。 元北朝鮮兵士が、思想教育を受け、命を投げ出す覚悟を持っていると証言。 ウクライナ国防省は、北朝鮮兵の無線通信を傍受し、実際の戦闘状況を示す音声を公開。

【速報】天皇皇后両陛下 弔問のため赤坂御用地の三笠宮邸を訪問 百合子さまご逝去

天皇陛下と皇后陛下が、三笠宮邸を訪問された。 百合子さまが今日午前6時32分にご逝去された。 天皇陛下は、百合子さまの訃報を受けて、弔問のために赤坂御用地に向かわれた。 百合子さまは、今年の1月1日に高居宮殿で行われた新年祝賀の行事に出席されていた。 天皇陛下と皇后陛下は、今日正午頃に公共の場に出られた後、三笠宮邸に到着された。

三笠宮妃百合子さまが逝去 皇室最高齢の101歳 入院先の「聖路加国際病院」で

三笠宮妃百合子(みかさのみやひ・ゆりこ)さまは15日午前6時32分、老衰のため、入院先の聖路加国際病院(東京都中央区)で亡くなられた。101歳。明治以降の皇室では最高齢だった。百合子さまは脳梗塞と誤嚥(ごえん)性肺炎、心不全のため、3月3日から同病院に入院していた。今月7日の検査で、心臓や腎臓など全身の機能低下が判明。宮内庁によると、一般病室で療養を続けていたが、15日早朝から血圧が低下し、穏やかに息を引き取ったという。容体悪化を受け、孫の三笠宮家の彬子さまが9日朝に訪問先の英国から急きょ帰国。以降、彬子さまをはじめ皇族方や親族が連日、同病院をお見舞いに訪れていた。1923年6月4日、子爵・高木正得氏の次女として誕生した。叔父は昭和天皇の侍従長を務めた入江相政氏。41年に女子学習院本科を卒業し、同年10月、18歳で昭和天皇の末弟、三笠宮さまと結婚、3男2女をもうけた。 太平洋戦争中の45年5月には赤坂御用地(港区)内の宮邸が空襲で全焼し、防空壕(ごう)での生活を経験。戦後は、古代オリエント史の研究者でもあった三笠宮さまを支える一方、恩賜財団母子愛育会(港区)の総裁を62年間、着物文化の普及や伝承などに取り組む民族衣裳文化普及協会(中央区)の名誉総裁を31年間務め、日本赤十字社名誉副総裁も務めた。 ご夫妻で56年のセイロン(現スリランカ)を最初に、欧米や南米、トルコなど各国を訪れ、国際親善にも尽くした。2002年に三男高円宮さまが47歳で亡くなり、12年に長男寛仁さま、14年に次男桂宮さまがいずれも66歳で亡くなった。16年に夫の三笠宮さまが100歳で亡くなった後、三笠宮家の当主を務めていた。99年に心臓ペースメーカーを埋め込む手術をし、07年に大腸がんの手術を受けた。20年には心不全と診断された。22年には新型コロナウイルスに感染し、約2週間入院した。23年6月に100歳の誕生日を迎え、宮内庁を通じ「これからも人々の幸せを祈念しつつ、日々を過ごしてまいりたい」と文書で所感を寄せた。今年は元日、皇居・宮殿で新年祝賀の儀に出席し、上皇ご夫妻への新年のあいさつで仙洞御所を訪れた。入院中の6月に101歳の誕生日を迎え、明治以降の皇室では三笠宮さまを超えて最高齢となった。皇族の逝去は、三笠宮さま以来8年ぶり。百合子さまが亡くなったことにより、皇室の構成は16人となった。