先週14日に75歳で亡くなった火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんに対し、NHK BSプレミアムの旅番組「にっぽん縦断 こころ旅」は公式インスタグラムにこんな追悼文を掲載した。
《火野正平さんには、1200日を超える旅を続けてくださったことに、深く感謝申し上げるとともに、心より哀悼の意をささげます》《お手紙をお送りいただいた方々に寄り添いながら旅を続けてくださったことに深く感謝申し上げるとともに 心より哀悼の意をささげます》
番組で2011年から24年まで、自転車で日本全国、津々浦々を訪れて視聴者の「こころの風景」を伝えていった。持病の腰痛を抱えながらの奮闘で、ことし9月には骨折でロケを断念するまで続けていた。その姿を思い出す視聴者から、追悼メッセージが数多く寄せられているようだが、芸能関係者には希代のプレーボーイとしてその名をとどろかせていた時代を懐かしむ声が少なくない。2016年刊行の自叙伝「火野正平 若くなるには、時間がかかる」(講談社)では、こう振り返っていた。
《若い頃は、二股どころか、何股かけたか分からない。11股とか報道されたこともあった。『握手したら妊娠する』と言われたこともあるよ。仕事を1年以上ホサれたこともあるさ。でも、それも含めて今の自分だから》
1971年に一般女性と結婚し、1男1女に恵まれるも、その後何人もの女優たちとの不倫や同棲、挙げ句に妊娠疑惑が報じられ、芸能マスコミとりわけワイドショーに追われた姿は中高年世代には今でも記憶に新しいのではないか。週刊誌にはモテる理由が特集され、またご本人にも一家言あり、取材などでこんなコメントを残している。
「向こうから電波を発信し、アンテナで捉えて受けに行く」「恋の受信アンテナは感度抜群」「女がしたいということは、させてやりたいと思うのさ」などなど。悩みなどに優しく耳を傾け、何かを強要したりせず、深い関係になっても別の女性が出てくると、それを拒めない。自分から別れを切り出さないため、結果的に複数交際になっていたらしい。
芸能リポーターの平野早苗さんが振り返る。
「あの頃は突撃取材が普通に行われていて、火野正平さんは仕事先などでしょっちゅう多くのリポーターに囲まれていました。矢継ぎ早のインタビューに対して、道端に座り込んで応対されていたこともありました。12人目の女性出現との噂をもとに、単独で突撃インタビューを試みた京都の太秦撮影所では、私たちの前にどこからともなく火野さんが現れて、胸元からぱっとプラカードを掲げられたんです。そこには『私はセリフ以外しゃべりません』って。ニヤニヤ笑って、おちゃめさが伝わってきて、こちらも笑ってしまいました。人間味があって私は火野さんの大ファンになり、『こころ旅』でも女性に声をかけるシーンをどこかで楽しみにしていました」
■松本人志は爪の垢を煎じて飲むべし
当時ならではのエピソードだろうが、同じ芸能リポーターの小柳美江さんはこう言う。
「不倫などが次々に表沙汰になっても、お相手の女性たちは『憎めない』と口を揃え、裁判沙汰や金銭トラブルに発展したという話は聞いたことがありません。女性たちからは感謝され、イメージダウンにならないどころか、憧れる人もいたというのですから、特別な存在でしたね」