米野球のワールドシリーズが終わり、毎朝が空虚になってしまった。
大リーグの試合があったこの半年間、ほぼ毎朝、大谷翔平がホームランを打つか(打ったか)、試合に勝つか(勝ったか)が楽しみだったのである。
テレビが連日煽ったとはいえ、たったひとりで、大げさにいえば、日本全国のファンに毎朝の楽しみを与えてくれた大谷は、大した男である。
「大谷ロス」というのではないが、毎朝の試合がなくなり、なんだか物足りないのだ。この楽しみをまた得るためには、来年4月(3月?)の開幕まで、待たねばならない。
ドジャースの優勝が決まった試合を、わたしはリアルタイムでは見ていない。0-5になったとき、今日は負けだなと思い、外出したのである。
だからドジャースの大逆転劇のきっかけになった、アーロン・ジャッジのまさかの落球も見ていない。
※アーロン・ジャッジが落球したシーンの動画は記事最終ページにあり
夕方、帰宅してから、ドジャースの大逆転勝利を知ったのである。気が抜けてしまった。逆に、こんな大事な勝ち試合で、なんでもない凡フライを落球したジャッジは、死ぬほどつらかろうと思った。
事実、ジャッジは試合後、「ドジャースのような相手にミスが続けばそれを利用されるだけ。死ぬまで忘れない」と語った。
好漢ジャッジの誠実さが表れたインタビュー
シーズン中、日本のテレビがまるで自分の手柄のように、連日、大谷翔平のホームラン数を報じ、どうだとばかりに、これで2位と何本差です、と付言した。
それはそれでいいのだが、ジャッジとは何本差なんだ? それもいえよ、と思った。わたしはナショナル・リーグだけでなく、両リーグでの1位が気になっていたのである。
しかし、大谷のホームランに水を差すようなことはいえないのだろう。それで調べて見ると、ジャッジは大谷より10本も多く打っていたりしていたのだった。
わたしは以前から(といっても昨年からだが)、ジャッジという男が気になっていた。純粋な白人ではなさそうだが、どういう出自なのか。
身長2メートル、体重124キロで、大谷よりも7センチでかい巨漢である。それなのに、話し方は穏やかで、大谷について話すときも、大谷に敬意を払っていた。
ワールドシリーズ直前のインタビューで、ジャッジは、なぜか恥ずかしそうに大谷翔平をこのように褒めあげていたのである。
「(大谷翔平が何をやっても)もうすべてが当たり前に感じられるくらいだ。打率が残せ、パワーがあり、スピードもある。今季50盗塁(以上)を残したことはかなり賞賛されているけれど、(その凄さは)まだ十分語られていないと思う。すごいアスリートだし、球界最高の選手。このゲームの素晴らしいアンバサダーでもある」
好漢ジャッジの、誠実さが表れたインタビューだった。
ジャッジ少年の子どもらしからぬ返答
アーロン・ジャッジは、1992年生まれである。現在32歳で、大谷の2歳年上である。
詳しい事情はわからないが、生後2日目に、ウェインとパティ・ジャッジ夫妻の養子になっている。夫妻はカリフォルニア州の2000人弱の田舎町リンデンに居住し、ふたりとも教師である。
5歳の頃には、9歳か10歳に間違えられるほど大きくなったが、ジャッジ少年は「人懐っこくて行儀がよく、優しくて、まるで鳩みたいに純真な子ども」だった。
それでも並外れた身長で目立ち、心無い言葉で傷つくこともあった。
しかし両親が素晴らしく、ジャッジはかれらの教えに素直だった。両親は「身長などただの数字にすぎない。大きさが大事なのは内面、つまり親切な心とか、おおらかな態度とか、知性とか愛とか、そういうものこそ大きくなくてはいけない」と諭した。
ジャッジも、「両親を見て、僕は人との接し方を学んだんです。二人が今の僕を作ってくれました」と語っている。
小さな町で、「二つの人種の血を引いている」ことは目立った。
10歳頃、クラスメイトから、なぜ両親に似てないのかと問われたジャッジは、両親に直接聞いたという。
「お母さん、僕はお母さんに似てないね。お父さん、お父さんにも似てないね。どうして?」。
すると両親はあっさりと、かれは養子なのだと話した。
それを聞いて、ジャッジ少年は、およそ10歳の子どもらしからぬ返答をしたのである。「僕のお母さんってことは変わらないよ、僕のお母さんはお母さんだけ。お父さんだってそう、僕のお父さんはお父さんだけだよ」
物事を素直に受け入れるのは、ジャッジの生まれながらの資質なのかもしれない。ジャッジは「本当のことを知っても平気でした。気持ちが乱れることは全然ありませんでした」、「分かった、遊んできていい?」といい、それで終わった。
いまや米球界を代表する屈指のスラッガーに
4歳年上の兄ジョンも養子である。韓国で英語の先生をしている。
ジャッジは、生みの親がどういう人か、チラリとも思ったことがないという。「僕には両親がいる、育ててくれた両親が。それがすべてです」(デヴィッド・フィッシャー『アーロン・ジャッジ』2019、東洋館出版社)。
16歳のときには、すでに198センチの身長があったという。生徒会の役員をやり、飲酒運転防止プログラムのメンバーにもなり、「世界をよりよい場所にする」手伝いとし地域の奉仕活動もやり、ゴミ拾い仲間たちとやるのが「楽しかった」といっている。
大谷がゴミを無心に拾い、ボールボーイに対しても優しく、気遣いをすることは知られている。ジャッジも、大谷のそういう一面を知り、共感したと想像できる。
高校ではアメフト、野球、バスケの花形選手で、すべてのチームMVPのトロフィを贈られた。しかしプロになるには「心身ともにまだまだ未熟だ」と、カリフォルニア州立大学フレズノ校に進学した。
2013年のドラフトで、ヤンキースがチームとして2人目、全体の32位で指名し、ジャッジはヤンキースに入団した。断トツの1位でなかったのは、身長2メートルの巨体で、これまで成功した選手がほとんどいなかったことが原因だといわれる。
前年のホームラン数はわずか4本だったのに、2017年は52本と大ブレイクをし、ア・リーグのホームラン王となる。それから数年は低迷したが、2022年は62本、今年は58本を打ち、いまや米球界を代表する屈指のスラッガーとなっている。
MLB史上「最も礼儀正しい選手」
『アーロン・ジャッジ』の著者のデヴィッド・フィッシャーは、ジャッジをMLB史上「最も礼儀正しい選手と言えるかもしれない」と評している。会話には「プリーズ」と「サンキュー」が頻繁に出てくる、試合のあとも遊びには行かない、バーやクラブには近づかない、のだという。
「野球ができるのは人生でほんの短い間だけ。一分一秒たりとも無駄にしたくない。全身全霊で野球に向き合いたい」とどこまでも真摯である。
これは、記者にニューヨークのどこが好きかと問われた大谷翔平が、ニューヨークは球場しか知らない、と答えたのに通じている。マスコミでちやほやされても、ジャッジが「鼻高々になったり、尊大な態度をとったりすることはない」。
ヤンキースタジアムでジャッジの打順になると、「背番号99、ジャッジ。オール・ライズ(全員起立)」と場内アナウンスが響くという。アメリカ映画の法廷シーンで裁判官(ジャッジ)が入場すると、「オール・ライズ」の声が法廷に響くのはおなじみだが、それを真似ているのだ。ジャッジがファンから好かれている証拠である。
MLB史上「最も礼儀正しい選手」
『アーロン・ジャッジ』の著者のデヴィッド・フィッシャーは、ジャッジをMLB史上「最も礼儀正しい選手と言えるかもしれない」と評している。会話には「プリーズ」と「サンキュー」が頻繁に出てくる、試合のあとも遊びには行かない、バーやクラブには近づかない、のだという。
「野球ができるのは人生でほんの短い間だけ。一分一秒たりとも無駄にしたくない。全身全霊で野球に向き合いたい」とどこまでも真摯である。
これは、記者にニューヨークのどこが好きかと問われた大谷翔平が、ニューヨークは球場しか知らない、と答えたのに通じている。マスコミでちやほやされても、ジャッジが「鼻高々になったり、尊大な態度をとったりすることはない」。
ヤンキースタジアムでジャッジの打順になると、「背番号99、ジャッジ。オール・ライズ(全員起立)」と場内アナウンスが響くという。アメリカ映画の法廷シーンで裁判官(ジャッジ)が入場すると、「オール・ライズ」の声が法廷に響くのはおなじみだが、それを真似ているのだ。ジャッジがファンから好かれている証拠である。
ジャッジは現在も慈善活動に励んでいる。2018年にアーロン・ジャッジ・オール・ライズ財団を設立し、母親を事務局長に任命した。財団では、子供向けのキャンプやプログラムなどを企画している。そんな活動が評価され、昨年、「ロベルト・クレメンテ賞」を受賞している。
ジャッジは敬虔なクリスチャンである。結婚したのは、高校時代から交際していた女性である。芸能人でもモデルでもない。断然、好感がもてるのだ。
ジャッジという人間を知れば知るほど、好きになる。
ジャッジに送った大谷のメッセージ
映画「マネーボール」で、試合に負けても、ロッカールームで腰を振って騒ぐ選手たちの場面があったが、ジャッジはそういう軽薄なパーリーピーポー(パーティ好き人間)ではない。
「自分を律し、目標を高く持つこと」という生き方において、大谷翔平とアーロン・ジャッジはよく似ているのである。
そんなジャッジだが、ポストシーズンにはなぜか、弱い。
今年のワールドシリーズ終了後、大量の誹謗中傷にインスタグラムを閉鎖したジャッジに対して、大谷はこんな応援メッセージを送ったという。
「大舞台に立つプレッシャーを知ってるからこそ、そのプレッシャーに真正面から立ち向かうジャッジの姿を尊敬している。アーロンがどれほどの努力を重ねてきたかを知っているからこそ、彼の苦しみを少しでも和らげられたなら嬉しいです」
つい、「士は己を知る者の為に死す」という『史記』の言葉を思い出した。
立派な人間は、自分の真価を知ってくれる者のためになら、死を持って報いることもいとわない、という意味の言葉だが、まさか死ぬこともない。
想像もできないプレッシャーの重圧に耐えることの苦しさを知るのは、互いの真価をわかりあえるジャッジと大谷翔平かもしれない、という気がするのである。
【動画】2024年ワールドシリーズ第5戦、ドジャース大逆転のきっかけとなったアーロン・ジャッジの落球シーン(@FOXDeportsのXポストより)